08/25/99

生き生き出来ると言う事



 自己紹介のページで私は「海外にいる時の方が生き生きしている」と書いているが、「私も一緒の気持ちになります」「生き生きしたいです」というメールをよく頂く。やはりみんな同じ気持ちになったり、なりたかったり、私だけではないんだなと、うれしくなると同時にがんばれ〜!と応援したくなる。
 私が思う"生き生きできる"というのは、一言で言うと"心地いい"ということ。自分に無理をせず、等身大で生きていけること。日本では少なくとも私の周りの環境では生き生きはできなかった。建て前、謙遜、上下関係、付き合いなど、私にとってはそういうことが、逆に見返りや見栄、ライバル意識を持たせることになった。そんな状況で心から人と向き合うこともできなくなり、自然と自分をガードしていたように思う。ガードすることはそうとうの無理があり、絶対に"心地いい"ものではないよね。
 どうして、そう思ったかというと、きっかけは友達が私のオーストラリア時代の写真を見て「なんか、とってもいい顔してるね」って言ったこと。見るとほんと、どの写真も顔の表情が日本にいるときと違うのだ。その時に気付いたの。これがほんとの私じゃないかなって...。自分を「見つけた!」と思った。
 海外に来るとどうして生き生きできるのか。自分が心から満足できる、好きと思うことがたくさんあるからかな。素敵だなと思う気持ちが素直に湧いてくる、まさに"心地いい"のだ。トロントは特に、1日1回は必ず「素敵!」と思えることがある。日本では1日1回「むかつく〜!」だったのに。(笑)私は単純なのかもしれない。日常の些細な言葉が心地いい、例えば電話を取った時「もしもし」ではなく「Hello」ということ。間違い電話しても、されても、怒る人どころか「何番にかけたの?間違いだと思うよ」「ごめんなさい」「イッツ オッケ〜」「バイ」と切り合えること。電車の中や街中で人にぶつかっちゃったりしてもちゃんと「ごめんさない」「気にしないで」と言葉を掛け合うこと。顔中ピアスして一見むちゃくちゃ怖そうなお兄さんでも電車の中などで、お年寄りや身体の不自由な人が乗ってきたらさっと席を代わること。コーヒーを買うだけでも店員と「今日は寒いね〜」「ほんと、寒いよ〜、だからコーヒーがサイコーだよね!」「ありがとう(買ってくれて)。よい一日を」「そちらも」なんて会話が自然と出てくること。みんなとっても些細なことだけど、都会で育った私には全てが新鮮で、なんか日本のようにみんなイライラしていない。何か"心地いい"ものを持っている。余裕がある。移民の街なので、英語が下手でも嫌な顔するどころか、わかるまで聞いてくれるし、アジア人だという「視線」も感じない。とにかくトロントは自然とこの街に溶け込ませてくれる。してあげることにも見返りを考えていないトロントの人達。自分がそうしたいからする。そういったことが私のガードをどんどん溶かしていく。気がつくと私は"心地いい"中で暮らし、"生き生き"できる。そしてこれが "It is my actual life" なのである。(^^)


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