私の現在に至るまで


 女子高、女子大へ進んだので、とって〜も男女共学に憧れていた。大学在学中に1年間ワーホリでオーストラリアはシドニーに心の修行(?)に出かける。無事に修行(ほんまかいな...)を終え帰国。修行の成果は日本の文化の素晴らしさを改めて認識。やはり、その後の人生に大きな影響を与えることになる。大学に復帰。英語の成績は4年間でやはり、この年が一番良かった。(余談ですが、私は英語が大嫌いなのです)

 就職活動はほとんどしなかった。(笑)会社説明会も開催されるビルまでは行ったが、何階かわからなくて「もう、いいや」って帰ってきてしまったり(全くやる気ない)、親のコネで大手旅行会社に入れたかもしれなかったのに「コネはいや」とその話は自然消滅、などなど。

 結局就職は地元の求人紙で見つけた英語学院の営業セクレタリーに決まる。(家族全員ほッ)そこで、カナディアンの先生と親しくなる。(彼は奥様と一緒にワーホリで日本に来ていた)彼等はトロントから1時間ほど北にいったBarrieという街から来ていて、トロントの事を色々聞くうち、海外生活がまた恋しくなり「出たい!」ということで、ワーホリ制度のあるカナダに行こうと決心。

 シドニーの教訓「仕事探しは技術を持っているもん勝ち」から、コンピューターを学ぼうと1年半お世話になった英語学院を退社。職安で見つけた派遣会社の求人「マックオペレーター(初心者OK)求む」に電話、面接、そして働き出す。(^^) それが、私とマックの最初の出会いだった。

 その当時まだワーホリは抽選ではなくて、応募すれば貰え、30歳までなら何回でもビザを取ることができたので「まあ、一度失敗してもまた行けるしね」なんて軽い気持ちで申請。ところが、その年から年齢は25歳まで(現在はまた30歳までに戻ってます)一生に一度しか取れなくなり、年齢はさておき(^^;)「一生に一度!!!!それでは失敗はできないじゃない」と緊迫。周りは結婚、結婚と言いはじめてきた時期でもあり、そんな時にワーホリなんか行って、何にも得るものがなかったらどうしよう。と、友達に相談。彼女は「そんな気持ちだったら、止めたほうがいいよ」と鋭い指摘。しかし、私はその言葉に奮起して「じゃあ、行ってやる!」と決心を固めた。(お〜い、何か違うんじゃ...)とにかく、決めた決めたと自分に言い聞かせ、準備は着々と進んで行く。んっ?私って親に言ってないのでは...と出発の2週間前に告白。だって、もう一度海外に出してはくれないだろうと、全て準備できた後に報告。親は一応怒ったが、2週間前なので、行くことよりも行った後の住所の確認などを「ちゃんと知らせなさい」と怒っていたような...。

 時はいよいよ出発の日、見送りは姉と母の二人。ちょっと〜寂しいじゃない。ここで普通は恋人と涙の再会を誓うはずなのに...。って、恋人はいないので、出来なかっただけという...。

 トロントに決めた理由は1バンクーバーは日本人が多くシドニーと感じが似ていると思ったので、違う街を選びたかった。2NYが好きなので、すぐ行ける便利さから。3友達にトロントから来たカナディアンがいたから。4トロント出身のキアヌ・リーブスに会えるかもと思ったからの以上4つ。

 はじめの予定は3ヵ月英語学校に行くということだったが、来て1ヵ月で、日系の出版会社にマックが使えるというのが幸いして決まり、学校は1ヵ月半だけ通った。ホームステイは1ヵ月だけして、あとはカナディアンとシェアしたり、日本人とシェアしたり。今でもその1ヵ月だけお世話になったホ−ムステイ先とは交流あり。素敵なご家族で私はラッキーだったと思う。

 トロントに来て最初の1週間でこの街が大好きになり、カナダでの永住を考えたのはそれから1ヵ月ぐらい。人から永住権の話を偶然聞いたことから。「一生住めて、働けて、でも国籍は日本のまま」。どうして、永住まで考えたか?それは日本にいる時より、海外にいる方がイキイキしている自分を発見したから(これはシドニーにいてた時も感じてたこと)。トロントで私の人生のベストフレンドができ、彼女を置いて日本には帰れないと思ったから(笑)(ここトロントでの出会いは全て私にプラスになるもので、素晴らしい人達に巡り合えてます)。英語が使える環境をkeepしておきたかったから。トロントは本当にいろんな人種が暮らしていて、露骨な差別を感じないから(これが、私を「トロント」という街に留まらせている一番の理由ですが...)。要は人と人に相性があるように、人と土地にも相性があるってことで、私はトロントと相性がよかったんだと思う。

 今は自分で会社を運営。将来の夢は日本で仕事して、トロントで生活できたらなと思っています。その為に、日々がんばっております。(^^)


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